見えない都市、ゴーメンガースト

 

ゴーメンガーストを心に持つ者は幸いである

 

はじめてゴーメンガーストに入城したのは、冷たい雨の降る寒い冬の日だった。ずっと読んでみたいと思っていた。創元推理文庫の巻末の解説を読んではその内容に思いを馳せていた。面白そうで読んでみたかったが、そこらへんの本屋には全然なかった。シリーズの一巻目を見つけたのは、友達と一緒にオープンキャンパスに行った帰りに寄った池袋のブックオフだった。欲しかったお宝を見つけた多幸感で頭がくらくらするのを感じながらレジに向かったのを覚えている。しばらく積んで所有欲を満たした後、通学時にようやく本を開いた。ちょうど線路の工事で学校に行くのに電車が使えず、蒸し暑く湿った人の体温がこもる慣れないバスの中だった。そこにすべてがあった

 

読書の楽しみのひとつは、あらすじや解説を読んでどんな物語なのか想像することだ。あらゆる小説はこちらの予想など軽く超えてくる。思っていたより面白いこともあるし、思っていたよりつまらないこともある。予想なんて外れるものだ。予測と実際の差異が楽しい。私の想像した物語は、私だけのものになる。タイタス・グローンは違った。想像した通りだった。子供が夢見るおもちゃ箱のように、私の欲しかったものすべてが詰まっていた。陰鬱で、悲惨で、神話で、喜劇で、話がめちゃくちゃ面白かった! 夢中になった。石の迷宮を歩き回り、登場人物たちの秘密を盗み見た。その頃は受験から逃げたくてたまらず、友人関係にも悩んでいた。ゴーメンガースト城は私だけの秘密基地だった。その悪夢的に広大な領地は、わけもなくイライラして鬱々とした私に必要な隠れ場所を提供してくれた。私は喜んで悠久の石の中に隠れた。冷たいゴーメンガーストの石は、私を落ち着かせてくれ、石のやりかたで冷やかに密やかに呼吸することを教えてくれた

 

奇怪で一部狂った登場人物にも親しみを覚えた。正直なところ、彼らには覚えがあった。あれはどこにでもいる人たちだ。現実にいそうな人々のちょっとした特徴や癖が拡大されてデフォルメされているだけ。なかでもとりわけ、フューシャがお気に入りだった。どれだけ彼女は私だと思ったことだろう。孤独で神経質で心を閉ざし、自分だけの世界を生きてきたフューシャ。彼女の劇は、いつも私のやっていることだった。私にとっては、ゴーメンガーストの物語自体がフューシャの劇と同じだった。極めて個人的な、夢と同じ成分で作られた物語になってしまった

 

いつもの路線とは違う、全然知らない住宅街を走るバスに揺られて、毎日ゴーメンガーストへと向かった。曇天や雨で窓の外の景色もよくわからない。いつもバスはちゃんと駅に着いたが、あれは私の少ない体験の中で最高にファンタジー的な経験だと思う

 

今ではバスに乗らなくてもゴーメンガーストに行くことは容易い。三部作と、マーヴィン・ピークの奥さんが書いた四冊目、すべてを読んでしまった。タイタスの旅路も、多くの登場人物が辿る悲劇的な末路も知っている。分厚い本に仕舞われていた大量の文字は石となり、私の精神世界に巨大な城を築き上げた。あの石の呼吸を感じとろうさえ思えば、ゴーメンガーストはいつでもそこにあるのだ

 

不思議な国に行って帰ってくる王道のファンタジーでは、帰ってきたときには大人になっているはずで、もう子供っぽいファンタジーなんかいらないとされるものだ。残念ながら、私は大人になんかなれていないし、まだ自分だけの秘密基地が必要になることもある。永遠に必要な気がする。でも、仕方がないよね。ゴーメンガーストはでかすぎる。一度出来てしまった城を壊すことはできない

 

自分のために演じられる自分だけの劇を持つ者にとって、ゴーメンガーストは幸いである

 

ゴーメンガーストを心に持つ者は幸いである

 

 城に暮らすみんながいるのだ、心にゴーメンガーストがあればひとりぼっちじゃない